マーケティング

2008年1月 4日 (金)

箱根駅伝と高校サッカーに学ぶ日本化して盛り上げる3つの方法

正月はつい、テレビにかじりついてしまう。

長距離走は、一人で走るものなのに、タスキで繋いで、山あり谷ありのコースを大学対抗で走るという仕立てが面白く、毎年何らかのドラマが起きる。2008年の往路であれば、早稲田の健闘だろう。木下哲彦(当時:現 金哲彦)氏が卒業されて以来、山登りで頑張る早稲田を忘れていたのでうかつにも出かけてしまったのが悔やまれたくらいだ。

そして、高校サッカー。各都道府県代表の高校生が競い合う様は、正月というふるさとを思い起こすタイミングに似合っている。今やレベル的にはユースチームの方が上だったりしするのだが、身近な高校生が頑張っているという姿には別の感動がある。

日本化して盛り上げる3つの方法

  1. 世界とは切り離す
    世界に繋がっているグローバルスタンダードだけが正しいとは限らない。
    唯一無二の存在にして、相対的な価値など忘れさせるのはいい方法だ。「高校サッカー選手権優勝チームは、xxと対戦できる」なんてやってはいけない。大学ラグビーが最近いまいちなのも、社会人も含めた大会とのつながりで、所詮大学生としらけた面がありそうだ。
    一方、箱根駅伝なんて箱根でしかできない。そもそも、出場資格が関東の大学じゃなきゃだめというローカル大会だ。
  2. 歴史、地縁、季節、行事と結びつける
    箱根駅伝は、江戸時代、東海道の宿場町を旅した歴史も思い起こされれる。
    高校サッカーは、高校野球に倣ったと聞く。地元のチームを応援しようという習慣をくすぐられるし、テレビ的には、地元のチームをローカル放送で見て楽しむこともできる。
    箱根駅伝自体が歴史が長く、CMに入る前にその映像を流したり昔のことのエピソードを話すのは価値を高める一つの方法だろう。
    箱根駅伝は、正月だから交通規制をしてこんな大会を開けるという大会であり、富士山を拝めて正月らしさがある。また、冬はサッカーの季節という刷り込みもあって、なじみやすい。
  3. 集団への自己犠牲、悲運のヒーローを作る
    今回の箱根駅伝は3校も途中棄権があり、識者の苦言も聞こえてくる。しかし、そもそも長距離走は本質的には個人的な競技であり、アクシデントもありえる。マラソンで途中棄権しても自分だけのことで済むのに、駅伝だとチームに迷惑がかかるからと無理に頑張る状況が生じているのは、集団への自己犠牲を美しいと考える日本的な美意識が生んだ競技ということなのだろう。
    「小学生クラス対抗30人31脚」なんて、究極の集団競技かもしれない。同じ速さにあわせないと上手く走れないのだ。
    高校サッカーでも、怪我をおして出場とかいうドラマが尊ばれる。ちょっと前までは、超高校級の選手の活躍が目玉だったのだが、有望選手の多くがユースチームに流れるようになって身近な悲運のヒーロー探しへと方向が変わっているように感じる。
    いずれにしろ、勝者を映すだけでなく、対比としての敗者がいること、転んだり失敗したりとかいうドラマが欠かせない。

集団への自己犠牲とか、個人的なものを団体競技に仕立てるとかいうのは、応用が利くかもしれない。ネットワークゲームやサービスもこのあたりに日本で受けるためのヒントがありそうだ。

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2007年12月29日 (土)

顧客満足は続かない。一度絶望させてから感動させろ。

いまどき、顧客満足は当たり前になっている。料理がおいしいとか、電車がちゃんと来るとかいうことにみんな慣れて当たり前と感じているだろう。

サッカーJリーグのFC東京も例外ではなく、雨でも濡れず清潔なスタジアムでサッカーを見て楽しめるだけでは、満足を維持できないジレンマに陥っていた。2007年シーズンはホームの味の素スタジアムであまりに勝てなすぎたという、満足に遠いこともあった。しかし、2008年シーズンにそこそこホームで勝てたらそれでいいという状況ではない。そこそこ勝って頑張ってきたここ3年ほど停滞感があり、チームが伸びていないのだ。2004年にカップ戦で優勝し、顧客の満足基準が上がってしまったのに、チームはその状況からの上積みを見える形で果たせていないのだ。

こういう停滞から抜け出すにはどうすればいいのか?私ならもっと不幸な状態になり、完全な絶望にまではならずとも、絶望の淵くらいまでは落ちてしまうのがよい方法と考える。満足を与え続けようとしても、顧客は慣れてしまうので、むしろ、そこで満足の基準を落とすような絶望に落としてから、驚きや感動を与える希望を与えるのだ。飽食に慣れた人においしいと満足させ続けるのは難しいわけで、一度、プチ災害体験で食事レベルを落とすとかすると当たり前のことの素晴らしさ、ありがたさが分かる。

■今野選手、FC東京に残留してくれるようですね。本当にありがとう。応援します。
こんなことを思い浮かんだのは、FC東京の2007年シーズンの終わり方がひどく、不協和音を煽るような状態が続き、今野選手移籍と覚悟させる報道が続く中、急遽逆転残留となりそうというニュースが来たためだ。まだ契約したというわけではないようなので、安心はできない。

しかし、いずれにしろ、単に選手が滞りなく残留するだけでは何の感動もなく、今野選手の献身的で驚異的なプレーが当たり前になっていたのが、今回の移籍騒動で、決して居て当たり前の選手ではなく、ありがたい存在だと思い知らされることとなった。

一度ライバルチームに移ることを覚悟してしまい、絶望したことで、残留という普通のことで感動や驚きが味わえるのだ。一度絶望した

ので、福西選手や土肥選手の退団とかもやむを得ない出来事のように見えてくる。

■満足を続けることは難しい。一度絶望させてから、感動させろ。
人間はどんなことにも慣れる動物だと、ドストエフスキーは、小説「死の家の記録」で語っている。革命前のロシアでの監獄の中での生活を描いているのだが、実際ある程度は慣れるものだ。

ひどい状況に慣れるだけでなく、幸せな状態にも人間は慣れてしまう。満足という幸せを続けることは難しいので、一度、文字通り、有ることが難しいという、有難さを思い起こさせ、絶望の淵を思わせるのも有効だろう。

そう考えると今回の今野選手の移籍騒動はFC東京の村林専務の高等戦術のように思えてくる。人生もサッカーチームもいいときもあれば悪いときもある。人間万事塞翁が馬というように何がいいことで何が悪いことなのかは後からしか分からない。

危機を利用して、チャンスに変える。絶望させてから感動させるのが良策かもしれない。

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